● ある自衛隊員から聞いた話。
ある、一人の自衛官で 一時期、イラク戦後のPKOの部隊員として イラクに派遣されていた知り合いがいる。
彼の職務は 米軍司令部の中に赴き米軍司令部と自衛隊の派遣部隊との間の連絡調整を行う事だったそうだ。
PKOに参加している各国の それぞれの国の部隊からは 彼と同じ様に派遣された隊員達がおり、オランダやイギリス、イタリア等 多国籍集団が顔を揃えていたと言う。
イラク戦を考える時、フセインを代表とするイランという国の考え方や 当時の彼等の主張を理解するには イランとしての歴史観をはじめ、イスラム教の教義というものを理解しない限り、一般的な日本人の知識では荒唐無稽な子供のワガママにしか聞こえない。
それは、日本の教育には 日本の歴史観なんか含まれておらず、当然の事だが 他国の歴史観だって教わりはしない。
テロリストの攻撃方法に「自爆テロ」と呼ばれるモノがある。
爆薬を多量に搭載した車両や 時には 身体中爆薬を巻き付けて、目標に向かって突進し自らを爆弾の信管として爆破するものである。
この手法は 実はイスラム教の解釈の仕方により、「殉教行為」として認められている。
つまり、神のために殉じて死ぬ事は 普通に死んで神の側に行くよりも 数段、格上の死として 死後、神に認めて貰える…という様な意味がイスラム教の教義にはあるのだ。
この考え方は おそらく今の多くの日本人には理解出来ない事である。
イスラム教徒達が 口々に叫ぶ「アラ-・アクバル」 これは「神は偉大なり」という意味。
微妙に違うが キリスト教で言う「ア-メン」 日本風だと「南無阿弥陀仏」と 大いに意味の近い言葉だと思えば判りやすい。
日本は 公明党というクソ学会を除き、一応は政教分離がなされた国である。
だから、基本的にタテマエ上では 政治に宗教観が含まれない、含んではいけない…という倫理観がある。
ゆえに、天皇は人間宣言をして「神」では無くなり、戦没者を祀った「靖国神社」は 宗教物だから 政治家が公務で参拝するのは「政教分離の精神に反する」と批判する輩が多い。
局所的には 異様なまでに拘るクセに、無関心なところには とことん無関心… とでも言うような風潮が招いた結果が 国際的な話の上での「世間知らず」になるのだろう。
さて、そのイラクに派遣された ある自衛官は その在職中、奇妙な事が周囲で起きる事に 嫌でも気づかされる事になる。
たとえば、隊員達が食事をする場で 周囲に米軍や英軍の兵がいるにも関わらず、給仕や雑用で雇用されたイラク人達が 奇妙に彼にだけ愛想が良く サ-ビスが良い。
他の国の兵は 自分で取りに行くか、頼まないと持って来て貰えないコ-ヒ-なのだが、誰かに頼まれて コ-ヒ-・ポットを持って来たイラク人給仕が 彼にだけは 何も聞かずにコ-ヒ-を足していく。
イラクの民間人が多く屯する中を 他国の兵士が戦闘服で歩くと異様に不快な表情をする中にあって 彼に対しては 最初は同様に不快な表情を浮かべながらも すぐさま、不快な表情から 好奇の様な表情や、他国の兵に対する表情とは明らかに違う表情になったという。
その理由は 間もなく判った。
彼が、ある任務により イラク人達の中の族長とか長老と呼ばれる 民間の中でも特に敬われている人物と会合をした時に 会合が終わった直後、同席していた米兵やオランダ兵を差し置いて 彼と彼の上司である自衛官の二人だけに
「残って お茶を飲まないか?」
と、その族長が誘ったのだという。
特別な用事があったわけで無く、会話は 普通の雑談だった。
その時に、日本の自衛隊だけを お茶を誘った訳に興味を持った彼が その理由を族長に通訳を通して尋ねたところ…
「そりゃ アンタ達が日本人だからさ」
と応えたと言う。
で、さらに「何故?」と深く尋ねたところ…
「アメリカの エリ-ト意識の強い白人達は 自分達が世界でも特別な存在だと傲っている。
だから、彼等は「民主主義」という隠れ蓑を使って キリスト教を世界に押しつけイスラム社会を弾圧する。
欧米の白人達は 今でも有色民族を蔑み 何か機会を見つけては 支配下に置こうとし続ける。
それに対して、日本だけは 第二次大戦で敢然と白人社会に立ち向かい、戦いに敗れたとは言え、欧米の植民地支配から 多くのアジアの民族を解放した。
その戦いの中で 最たる象徴が「カミカゼ攻撃」である。
日本人は 最後には自らの魂を爆弾に変えて戦う民族なんだと 世界に見せしめたからこそ、今でも「日本」という国として存在出来ているのだろ?
日本はイスラム教の国では無いが、その精神は イスラムと同じと感ずる。
イスラム世界の教義では殉教は ただの死とは別、神に近づく尊い行為である。
旅客機をハイジャックして 貿易センタ-ビルに体当たりした行為は 罪の無い無関係な人々を巻き込む…という意味では許されにくい行為だが、イスラムの神を護る行為という観点では許される行為となる。
その事件の時、アメリカのマスコミは何と言ったか?
「カミカゼ・アタックで 貿易センタ-ビルが崩壊」
日本人が起こした訳じゃないのに 何故?そう騒いだのだ?。
それは 日本人が 第二次大戦で行った「カミカゼ・アタック」を アメリカが忘れておらず、トラウマの様に 今でも怖れている証拠だとは思わないかい?
日本人は 最後には自らの魂を爆弾に変えて戦う民族なんだ…とね。
今、そのアメリカと戦っているイスラム社会の人々は そのアメリカ相手に かつて敢然と立ち向かい そんなトラウマを植え付けた日本という国に対して敬服する。
中国や韓国 それにインドが どんなに偉そうな立派な事を言っても、今 国として存在できるのは 日本がアメリカ相手に戦った結果なのだから…。」
そう言われたそうである。
イラクの歴史観から見た 日本感… のひとつの表れが その族長の話した考え方になるのであろう。
であるがゆえに 給仕は 彼の戦闘服の袖に大きく縫いつけてある「日の丸」を見て態度を変えたのではなかろうか?
これが正しい考えなのかどうかは判らないし、論ずるのは別の機会に譲ろうと思う。
あえて、今回 この話を記述したのには 理由がある。
たまたまなのだが、あるサイトを巡って記事を読んでいたところ そこで紹介されていたフラッシュを見て 感じる事があったからなのだ。
そのフラッシュとは
『http://nandakorea.sakura.ne.jp/media/sinjituwadokoni.swf』である。
時間の許す時に 御参照頂けると良いと思う。
私は「神風攻撃」を持ち出して 「軍国主義バンザイ」とか「戦争賛美」を申し上げるつもりは無い。
昨今の、中国や韓国の 日本に対する能書きに 一言、二言 言い返したい気持ちは一杯あるが、だからと言って 即、喧嘩(戦争)と言うつもりも無い。
ただ、申し上げたいのは
「日本としての歴史認識を ちゃんとしようよ」
という点であり、それとは別に
「戦没者も含めて 公務での殉職者に対する慰霊を ちゃんと堂々と行いましょうよ」
という点についてのみ 世間に訴えたいだけである。
日本の歴史認識が いかにマトモじゃ無いかは このところの騒ぎで衆知の事実であろうと思う。(中国や韓国が言う”歴史”が正しいなんて認めないよ。 私の言いたいのは 歴史を日本人が 全く認識していない事をマトモじゃない…と言いたいだけ。)
イラク人が フセインという独裁者の下で 如何に歪められてしまったか…というのも別の話である。
が、そんなイラク人達が 日本を どう見ているのか? そのひとつの見方が 先に述べた族長の見解だとしたら… この会合の席に 日本から取材に訪れていた複数の大手新聞社の特派員達が同席していたのだが、少なくとも このような話がメディアに流れたのを 私は知らない。
世界の人々と解り合って平和を築いていく…というのが ひとつの精神なのだとしたら、そういう族長の話などは 日本人として知らずにおいても良い話なのだろうか?
そんな判断を マスコミが勝手にして許されるのか?
私には 大いに、疑問に感じるので 記述してみた次第だ。
