● 諫早(長崎県)
実を言うと 一番最初に諫早に旅した理由は「親戚たち」というドラマを観たのがキッカケだった。
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個人的な話だが、物覚えもおぼつかない昔、短期間だが 私の一家が住んでいた事があるという佐世保を旅し、その後の予定を考えた時、どうしても立ち寄りたかった場所が 諫早であり、島原から船で熊本まで有明海を渡りたい…だった。
ドラマの中で映った諫早の街並みは とても素朴で落ち着いた雰囲気を感じ、北海道では見る事の出来ない九州の風景… そう感じたのだ。
そういう個人的な念願が叶って 長崎へ出張に赴いた私は いつもの様に出張を終えた後に数日の余暇を作り まず、佐世保に向かった。
旧海軍の佐世保鎮守府として 造船など重工業で発展した街、大きなドックが並び ドックに準じた大きな船体が建造されていた。
高台から 港を見下ろしていると いつしか風景がモノクロとなり、港を出入りする船が旧海軍の艦艇に映っていく… そんな錯覚を覚える。
我が父や、何人もの親戚達が母港とした港だと思うと 私のDNAに そんな記憶がすり込まれているのかもしれない^^;
その後、諫早に移動したわけだが、佐世保が重工業の街だったのに対して 諫早は農業、漁業が主体の街並みで牧歌的である。
けっして馬鹿にする意味では無く、のどかな風景に映る。
「親戚たち」というドラマは 「根津甚八」が扮するショッピングセンタ-のオ-ナ-が主人公「雲太郎」に 広大な葦原を相続する親戚達から それらをまとめて買い取り、レジャ-センタ-を作ろうと持ちかけられる話で進む。
私が 諫早に初めて行ったのは そのドラマが放映されて数年後の事である。
しかし、ほんの数年と言えども その間に広がったであろう干拓地が判り、心中複雑な想いが過ぎる。
干拓事業により 明らかに人工的に張り出した土地だけは なにか違和感を抱く部分があったが、その土地で暮らす人達にも理由のあっての事と簡単に口を挟むのは憚られるとは思うが…
後年、別の地の干拓事業への河口堰封鎖のシ-ンを見た時に この時、我が目で見た諫早の風景を思い起こし、やはり 似たような想いが過ぎった。
その後、有明海を船で熊本に渡ろうと思っていた私だったが、たまたま島原に至ってみると いつの間にか豪雨に近い雨になってしまい 日程に余裕があったのと、着いてみると 城や武家屋敷など興味を惹く場所が色々とあったので 宿泊する事にしたのだ。
その時に 旅館で食べた「グゾニ」なる料理が もの凄く美味かった。
鍋焼きうどんの鍋に 鶏肉や蒲鉾や いろんな具が入っていて潮仕立ての変哲の無い鍋料理だったのだが、今でも覚えているけど美味かった。
そして、この旅の時に 痛切に感じた事は 九州の人って 例えば、話し相手の私が北海道の人間だと判ると 出来るだけ方言では無く、標準語で話そうと気を配ってくれる…という事。
それは訛を隠そうとするのでは無く、判りやすい言葉で会話をしよう…とする配慮である。
こういう言い方をすると 全国的に非難を浴びそうな予感がして怖いのだが^^;
東北の人との会話だと 判りやすい言葉で…というより、訛を隠そう…という意識を強く感じる。
関西の人との会話だと 「相手が誰であろうと 俺は俺」みたいな意識を感じ、場所や状況や相手など 一切、お構いなしで関西弁を喋る。
そういうのが 駄目と言うつもりは無い。
むしろ それが「お国柄」と思えば それはそれで面白い。
で、九州の人の場合は 配慮を意識して標準語を使おうとするのだが、その標準語は 殆ど敬語になっている事を 申し添えたい。
たとえば、風呂の中で どう見ても80前後の御老体と一緒になった。
当時、私は30前の オニィチャンである。
にも関わらず、御老体は 私が札幌からの旅の途中と知ると
「そりゃ 御苦労ですな、北海道の方が 九州を御覧になられると 如何に映られますか?」
なんて聞かれ方をする。
ところどころに「おやっとぉさんで」とか 自分の事を「オイは」という言葉は混じるが 標準語的表現の所は ほぼ敬語に近い表現となる。
(この御老体は 鹿児島の人なんだろうなぁ…と 私は勝手に想像する)
私は そんな言葉の端に「九州男児」という言葉を思う。
後年、東京で仕事をしている時に 日本国内 いろんなところの出身の いろんな人と知り合ったが、何故か 妙にウマが合ったのは九州の人が多かった。
余談だが…
ここしばらく ススキノに遊びに行ってないので 今の札幌がどうなのかは 私は知らない。
なんとなくだが、東京的雰囲気に近くなったんだろうなぁ…と想像する。
しかし、私が10代、20代の頃 平日に日中の仕事を終え
「今晩 ちょっと(ススキノに)飲みに行く?」
という話がまとまったら 札幌人は 一度、自宅に帰り、風呂に入って ス-ツからカジュアルな格好に着替えて出直したものだ。
何故なら、「飲みに行く」という事は「腰を据えて飲む」だと思っており、出かけた以上は帰宅は午前様が当たり前だと思っていたから ス-ツだと堅苦しくて嫌だ…だったのだ。
従って、飲み始めるのは8時ぐらいからで 午前1時や2時迄 まったりと飲む。
これが、東京のサラリ-マン感覚だと 7時くらいから飲み始めても いきなり最初から一気飲みみたいなペ-スで グイグイと煽り10時半過ぎると
「そろそろ電車が…」
で、お開きとなる。
そういうペ-スが 性に合わない^^;
ところが、九州人も 我々、道産子と似ていて 彼等もペ-スが本調子になるのは10時過ぎてからなのである。
軽く酔いが回って さぁ、そろそろ本番だぁ~ そう思った矢先に
「そろそろ電車が…」
とやられては すっかり興醒めとなるのだ。
だから、いつしか 北と南の端の人間同士が集まり 互いのペ-ス、それも似たようなペ-スで波長が合う。
こういう雰囲気は 旅をしていて景色を眺めていても 似たようなモノを感じる事が多い。
確かに、気候の違いがあるから 草木の種類の違いによる景観の違いはあるけれど、牧歌的な雰囲気は共通なんじゃないかと思う。
諫早という街を眺めた時、私は 北海道の伊達という街に似てると感じた。
島原という街を眺めた時、風景は 北海道の松前、雰囲気は虻田の辺りと似たモノを感じた。
そこには やはり「日本」という同じ国内という ごく当たり前の共通性ではあるのだが、言葉では巧く言い表せない「懐かしさ」を感じるのである。


