● ブタネコの戯言^^;
この記事は Wen氏に捧げます。
『あいくるしい 第2話』という記事を構成するにあたり、Wenさんのサイトから 画像を一枚パクらせて頂いた。
その御礼を述べようかと Wenさんの書かれた記事を拝読していて 想い出した事を文章にまとめ、それをWenさんに捧げる事で 御礼の記しになれば幸いと思う。
さて、私が大学生の3年の時、東京の とある下町(わりと栄えている下町)の雀荘でアルバイトをしていた事がある。
その雀荘は 下町とは言え、地下鉄とJR(当時は まだ国鉄)の駅があり、その駅に近い立地で店も広く、アルバイトだけでも いつも4・5人は抱える規模の店だった。
そこに、私と同じ歳で 違う大学に通う A君という人物が 私と ほぼ同じ時期に入店して 一緒にバイトしていた。
さらに 偶然だったのは、そのA君、私と同じ北海道の出身で、私は札幌だが、彼は旭川という町の出身、とはいえ どちらも道産子で同じ歳と言う事もあって すぐに気が合い、仲良く話す間となった。
で、そこで2ヶ月ほど働いた頃の事である。
夜の9時過ぎ、そのバイト先に A君の実家(旭川)から 一本の電話が入った。
「親父さんが 脳溢血で倒れ、危篤だ…」と。
私は 出来るだけ旭川に早く帰る為の移動経路を 時刻表を調べてあげた。
その結果、一番便利なのは 羽田から旭川への直行便(現在のJALに統合される前のJAS 当時は東亜国内航空という名前だった)なのだが、1日に数便しか無く、何故か その割りに人気があって 早くから予約で満席になっており、当日のキャンセル待ちも なかなか取れない便であり、時間的に 午後遅くに到着する時間設定だったので まずは便数の多い千歳に向かい、JRで移動した方が 確実に早く着ける事が判ったのだが…
時間が 夜の9時過ぎだった事もあって、旅行会社も閉まっており、飛行機の最終便にも間に合う時間では無い、全ては翌朝 早くから どれだけ手が打てるか…の問題だった。
すると、A君は 笑って
「どうせ 帰りたくても帰れないから そんなに一生懸命、調べなくてもいいよ」
と、寂しく笑う。
当時、羽田-旭川の航空運賃って 4万円以上したのだ。
今の様に ダンピングの末、ホテル1泊がセットで2万5千円なんて感覚じゃ 想像がつかないぐらい高かった。
それに 何よりも、物価が 今とは全然違う。
雀荘での時給が350円の時代の話である。
タイミング悪く、学費や部屋代などを支払ったばかりで 一番、持ち合わせた金の無い時で 私も貸してやりたくとも 10000円も持って無かったのだ。
今の様に 消費者金融や カ-ドなんてものも 大学生が持ち歩く時代では無く、一刻も早く実家に帰りたくても 金の工面だけで2日も3日もかかる… そんな状況の時代だった。
だから、似たような状況に追い込まれ やむなく帰郷を断念した…という友人達も多かったし、ある意味 可哀相だけど「仕方無いよな…」と言える時代でもあった。
私は そんなA君を 少しでも慰めてやりたくて、バイトが終わった午前4時、雀荘の近くで 夜の12時に開店し 翌日の午後2時まで営業して 深夜の水商売で働く人達専門に相手をしている居酒屋に A君を連れて食事をオゴってやるから…と誘ったのだ。
しかし、親父さんが そんな状態にある中で、男二人、陽気になれるはずもなく、気がつけば二人とも無口で ただ黙々と飯を食べながら ポケ-ッとBGM代わりに流れる深夜ラジオを聴いて 時間を過ごしていた。
そんな時である。
雀荘に 時々現れる、その地域じゃ有名なヤクザの兄ぃが 弟分を一人連れて、居酒屋に入って来た。
見るからに 派手なス-ツに身を固め、誰が どこから観ても「This is ヤクザ」な人だったが 雀荘でバイトの私達には もの凄く優しく、しかも 我々と同じ道産子だと判ってからは 時々、「パチンコで勝ったから」とタバコをくれたり、「競馬で当たった」と言っては 焼き肉屋に連れて行ってくれる人だった。
その兄ぃが しんみりしている私達に
「どした?」
と言う。
私は「実は…」と 状況を説明した。
すると 兄ぃは もの凄い剣幕で怒り出し、
「もう死んじゃいました…って 過去形ならともかく、まだ息があるんだろ?
だったら何で その僅かなチャンスを掴もうと努力しないんだ?」
と言う。
それに対して A君は 悔しそうに泣きながら
「金が無いんです。 それに、金があったとしても 飛行機のキップが手にはいるかどうかも判らないんです…」
と 絞り出すような声で言った。
すると 兄ぃは さらに もの凄い剣幕で怒り出し、
「何もしねぇで ダメダメ言ってんじゃ無ぇ お手本見せてやるから ついて来い!」
そう言って 弟分に
「大至急、車を取って来い!」
と命じる。
その車が 居酒屋の前に着く頃を見計らって 私達を連れ出し、否応なしに 我々を車に乗せると 運転している弟分に
「全速で 羽田に行け」
と命じた。
明け方5時過ぎの 車通りの少ない時間帯とは言え、赤信号の殆どを無視し、時には100キロ以上のスピ-ドで 都内を駆け抜け 普段なら軽く1時間はかかる行程を 僅かに20分で 羽田に着いた。
そして、私とA君を連れたまま 始発便の発券の準備をしていたカウンタ-の職員を捕まえて 空席の状況を確かめると やはり満席、ただし、3時間後の便だったら1席だけキャンセルが出て空きがあると言うので 兄ぃは そのキャンセルのチケットを迷わずその場で購入した。
そして、兄ぃはカウンタ-の電話を借りて A君の家に電話をかけさせ、まだ親父さんの息がある事を確認すると 今度は 出発ロビ-で 早めに飛行場に着いた客達を眺めながら これは?という客を見つけては 近づいて行き
「旦那さん もしかして、千歳行きの始発の飛行機に乗るのかい?」
と 聞いてまわり、数人目で「そうです」という 出張風のサラリ-マンを発見すると
「10000円 寸志を付けるから、3時間後の便のチケットと交換してくれないか?」
と持ちかけ、見事に 始発便のチケットをゲットした。
そして、そのチケットと さらに財布から1万円札を5枚抜き出しで A君に渡し、
「もし、万が一 親父さんが亡くなった時は これは香典だと思って 納めてくれ」
と言った。
そして ビックリしているA君に
「いいか? これは貸すんじゃねぇからな、直ぐに返さなきゃ…とか 利子、どうしよう…なんて 間違っても考えんなよ」
そう言うと、今度は私に
「おい 帰るぞ」
と、そのまま A君だけを置いて スタスタと空港を出て車に戻った。
帰りの車中で 私は兄ぃに「どうして そんな親切したんですか?」と どうしても聞きたくて聞いてみた。
すると、
「俺、刑務所に入ってる間にオフクロが死んじまってよぉ…、
あん時は ホントに辛かったんだよなぁ
だからよぉ、逢いたくても逢えない…って話の理由が
金とかキップなんて どうにでもなるもんで諦めちゃうなんて話 聞いてらんねぇんだ、
しかも 同じ道産子の話だもんな」
そして、
「もし、これが”良い事”のウチに入る事ならよ
ヤクザでも良い事の ひとつぐらいはしました…って 胸張って言えるしな」
と、バカ陽気に笑った。
「ヤクザ」という人に 良いイメ-ジを持たず、嫌悪感だけを示す人は 世の中に多い。
けど、私は この時の兄ぃを 「ヤクザ」云々度外視して、人として心の底から「カッコイイ」と思った。
結局、A君は 兄ぃの好意も空しく、実家に帰り着く前に親父さんは亡くなってしまったが、兄ぃの好意がありがたく 飛行機、そしてJRの中で泣きっぱなしだったと言う。
彼は、親父さんの急死が原因で 学費の問題などがあるから そのまま大学を辞める事になり、アパートを整理して帰郷した。
その後数年、手紙の時候の挨拶だけで会う事も無かったのだが、あるひょんな事がキッカケで再会し 今でも、時々会う友人なのだが…
私が『世界の中心で愛をさけぶ 第8話』という題で記した記述に出てくる
裏側社会の中で 無許可の貸金業を営み、おそらく同世代の人々が羨むであろうほどの財を成した
という人物が そのA君なのである。
A君が 何故、裏側社会に… という話は別の機会に譲るとして
TV版「世界の中心で愛をさけぶ」第4話の中に
サク「なんで そんなに頑張るの?」
アキ「う~ん、頑張るのが好きって言うより、後悔するのが嫌なんだよね」
と言うシ-ンがある。
これは 後に 東京に行こうとするスケを肯定する考えにもなり、智世に スケへの告白を促す考えの根本にもなって
アキ「やらないで失敗しないより やって失敗する方が良いと思う」
サク「スケちゃんの事?」
アキ「大木君も 智世も」
と言う台詞に繋がり、ラストのウルルへの空港… になると思うのだが…
私は 大学生の時のA君と 兄ぃのエピソ-ドから、このアキの考え方は もの凄く同感する。
大変、僭越とは思ったが Wenさんの記述を読んで つい、想い出したものだから、捧げるつもりで語ってみましたが、これは あくまでも第三者的 余計な御世話です。
どうか、深くは 受け止めないでください。^^;
