● 池田町(徳島県)
まだ、私が (年齢的に…とか、金銭的な理由で)自分で自由に旅行する事が出来ない頃、
「いつか 四国に行く機会があったら どうしても一度は行ってみたい…」
そう思った場所が何カ所かあった。
後年、その思いを叶えるかの如く、巡って歩いたのだが、そんな場所のひとつが徳島県の池田町だった。
池田高校で「攻めダルマ」と呼ばれた 故・蔦文也(元)監督
高校野球を語る上で この人を無視する事は絶対に出来ない。
1974年春、たった11人しかいない野球部で選抜に出場し 前評判の高かった高校を次々に下し、優勝こそ逃したものの接戦で逃した準優勝は 多くの高校野球ファンに感動を与え、それは今でも語りぐさになっている。
強豪校と呼ばれる学校は その伝統や指導者に憧れて入学・入部する子供が多い。
しかし、それはタテマエで 強豪という名を維持するために 中学やリトルリ-グで活躍した子供を水面下でスカウトし、特待生入学を盛んに行う学校も多い。
そんな中にあって 地元の子供ばかりで、しかも当時ベンチ入り14人という枠に足りない、紅白戦も出来ないチ-ムが甲子園で活躍する姿には 高校野球の神髄を見た思いがした。
たしか、1回戦の勝利インタビュ-だったと思う
「山あいの町の子供たちに一度でいいから 大海をみせてやりたかったんじゃ」
正確な言い回しは忘れたが、後年 色紙に書かれた この言葉と同じ意味の事を 木訥とした阿波言葉で話した姿が忘れられない。
野球の上手い子供が 自然に(偶然に)集まって出来たチ-ムなら文句は言わない。
野球の上手い子供を積極的に集めて「ウチは強豪校です」なんて言ってる高校や指導者には魅力を感じない。
蔦監督の様に 無名の子供の長所を引き出して全国の強豪を下していく様こそ魅力ある指導者像ではなかろうか?
池田高校の選手は 9番バッタ-でも ホ-ムランを狙う様な豪快なスィングをしていた。
「見逃しの三振なんぞでヘラヘラ笑うな どうせなら思いっきり振って来い」
聞いていて すこぶる痛快だった。
昼過ぎに池田町に着き、野球部が練習するグランドを見渡せるところで 練習する風景を眺める事が 私の目的だった。
若いコ-チ格の青年がノックをしており、蔦監督は グランドの中を せわしなく移動しながら選手達に声をかけて歩いていた。
シ-トバッティングが始まると バッティングゲ-ジの後ろにパイプ椅子を置いて腰を据え
「もう少し、気合いを入れんか」
等と 大声でハッパをかけていた。
山間に響く金属バットの音と 練習中の選手の声と 蔦監督のハッパの声 それらが一体となった様は 何とも言えないぐらいの風景で 眺めていて飽きる事が無かった。


