● 義務教育で教えて欲しいこと
冒頭に申し上げておくべき事がある。
世の中には 立派な教師、先生とよばれる方が少なくない事も知っているし、自分の中にも 御世話になった恩師と呼ぶ教師がいる。
しかし、中学、高校、大学… その10年間の私の学生生活の中で 私が知り合った同級生や先輩・後輩で、今現在、学校教師をしている者が、数えたらキリが無い程いるけれど その中に 立派な教師と呼べる人物は 一人もいない。
人格的に欠落していたり、教師が聖職だ…なんて 口が裂けても言えない奴もいるし、思想や責任感といった事において 非常に偏った者ばかりである。
私は中・高生のじぶん 例えば数学の授業で 複雑な方程式や 微積分などの授業を受けていて それが将来的に自分にとって なんの役に立つのか? 常に疑問を抱いていた。
数学じたいは嫌いな学科では無かったので パズルを解く感覚で楽しめたから 成績も そんなに悪いものでは無かったし、大学も理工系に進学した事を思えば 完全に否定する事は出来ないのだが…
卒業して 社会人を それなりの年数を経た結果で言えば「糞の役にもたたなかった」と言える。
別のコラムで 私はプログラマやSEに従事していた事は述べた。
そういう職種であれば 必須科目なんじゃないの?と、矛盾を感じる方もおられるかもしれない。
しかし、あえて申し上げるが 本当に必要だったのは 大学入試に合格するためだけで、大学入学後には 全くと言っていい程 必要としない知識だった。
教師達に言わせると 生徒それぞれの適性や好みは千差万別だから 中・高生の時代には あらゆる可能性を閉ざさぬ様に平均的な科目が必要だ…そうだ。
確かに、数学者や設計士など 高度な数学を求められる職種を望む者には 微積分どころで済むレベルでは無い。
しかし、そういう分野を望まぬ者には 全く、必要とはしないレベルを受験で要求するのは如何なものか?
これは何も最近の事例を指して言われている話では無い。
私が学生だった頃、私の親の世代である大人達が 既に疑問を呈していたのだ。
数年前、学校教育に「ゆとり」を持とう…という風潮が起き、その結果 円周率が3.14…から 3になった。
それについて 最近、いろんなところで賛否両論の声を聞く。
けどね、私は 円周率が3で計算されたって計算式や ロジックをきちんと覚えていれば どうでも良い事だと思う。
それよりも問題視したいのは「ゆとり教育」という言葉を 教師達が都合良く解釈して どんどんと無責任化している現実である。
個人的意見だが、義務教育期間において 教える必要性の無い科目が多いのと同時に 教えておかねばならない事なのに教えていない科目の多さがある。
たとえば、数学においては 微積分まで教えなくていいから、金利計算の仕組みぐらいは キッチリ叩き込んでおけ…と提案してみたい。
最近では あまりにも日常茶飯事になり過ぎたのか あまり聞かなくなったが、カ-ド破産、自己破産、サラ金も含めて闇金融の暴利な計算式の仕組み。
同様に 生命保険などの任意保険や 銀行預金の計算式、銀行ロ-ンや住宅金融公庫の金利計算式、そういったものをキチンと教えておくべきなんじゃないの?
微積分が解けても 十一(トイチ)や十五(トオゴ)なんて高金利で借金苦に陥っている人間が この世に沢山いるのは何故なんだろう?
もうひとつ 提案しておきたいのは 日本史、特に我が国の近代史(明治維新以降、特に第一次大戦以降の部分である)について 思想の偏りを抜いた上での歴史認識である。
歴史の教科書は 縄文・弥生文化から始まり 順に進んでいく。
そうすると 近代の日本史に差し掛かるのは いいとこ三学期であり、それまでの時代の授業のしわ寄せで時間数が足りずに端折る傾向が強く、そのせいか受験においても その時期からの出題が少なく、
出題されても おざなりの問題しか出ないので軽視されがちなのである。
しかも 教科書の厚さに対して 近代史を記すペ-ジ数は圧倒的に薄い。
そして、最悪な事は 一番、重要な歴史認識において 教師が自分の思想に偏った教え方をし過ぎている…事にある。
何故、第二次大戦に至ったのか? 靖国問題とは? 原爆は?
これに関しては 久米宏、古館一郎、筑紫哲也といったバカタレ共が 自分の思想認識で塗り固めた報道をするマスコミにも言える事。
まず、公平に事実を呈示し それを どのように受け止め、認識し、解釈する… そういう作業を なぜ、子供達や視聴者にさせないのか?
当然、そういうプロセスには 間違った認識=間違った教育 という意味で責任が伴う。
ところが、私の知る教師達は 皆、無責任野郎ばかりである。
だから、そういう責任が必要される事項には触れず「興味があるなら 自分で調べると良いよ」なんて誤魔化す。
中国や韓国どころか 朋友であるべきアメリカにおいて その近代史を自国の子供達に どう教えているかを考えてみるといい。
何故、昨年の夏 サッカ-の国際試合に絡んで 中国で反日行動が起きたのか?
韓流ドラマ・ブ-ムとやらで 観光ツア-に訪れる日本人のオバチャン共を 現地の人々が どう、受け止めているのか?
マスコミだって 元を正せば営利企業、サンケイ・グル-プや 読売グル-プ配下には ツア-会社もある。
テレビの映像 全てが正しいかどうか よく考えてみて欲しいと思うのだが、その時に 必要なのは 思想の偏らない公平な視点での 事実に基づいた歴史認識なのである。
ある人が 学校を卒業して社会人となるとする。
学校の中にいる限り 特殊なケ-スを除いて 先輩・後輩・同学年 縦横がスッキリしている人間関係だが、一般社会では 資格、地位、資産 等々… 人間関係の構成は 縦以外に斜めや歪んだものもある。
オンラインゲ-ムなんて世界で 長い期間、遊んでみて痛切に感じた事は 人間関係を構成する上で とても大切な一般常識やマナ-等が 不足していたり、欠けている人の多さである。
オンラインの世界では ハンドル(ID)さえあれば 年齢や学歴や地位や資産など関係なく公平な世界である。
しかし、そんな世界で人間関係を構築する為には 礼節と常識が大事となるのだが、礼節と常識 どちらの基本も教わる相手は親であり教師であって その上で、自分で学び 身につけるものである。
何度も言うが、私の知る教師達は その両方を大きく欠いた者ばかりである。
この事に関しては 私も立派な人物では無いと自覚しているから 偉そうな説教を述べるのは憚るべきかもしれないが、一石を投じるつもりで述べてみた。


