● 「世界の中心で愛をさけぶ」白血病
私がTV版「世界の中心で愛をさけぶ」を観て 何故、ブッ壊れたのか…
そして、「世界の中心で愛をさけぶ」の原作を 当初、読んだ時に何故、不快と感じたのか…
それは これまで「世界の中心で愛をさけぶ」として書いてきたコラムの中に 断片的であるが、書き綴ったきた。
あらためて その辺の所をきちんと語れ…という 御要望を頂戴したのと 最近、友人から ある話を耳にしたので 今回は あらためて少し触れさせて頂きたい。
高校時代、私の同級生だった ある女の子が白血病で亡くなったのは 今から20数年前の事。
その子と私は 同じ中学で、その高校には 私やその女の子も含めて、30人ほど進学したのだが、中学時代に同じクラスになったりで その女の子が親しく話す友人は私も含めて数名足らずしかいなかった。
高校に入学して間もなく、1ヶ月も経たずに倒れたから 高校で新たに得た友人は無いに等しいまま、1年半の闘病の後 他界した。
だから、友人として 彼女を見舞うのは 中学の時から交遊があって、その同じ高校に進んだ数名と 中学の時に 特別に仲が良く他の高校に進んだ幼馴染みの様な友人が数名だけだった。
その女の子は口数が少なく、御世辞にも社交的とは言えない性格だったから 恋人と呼べる彼氏はいなかったけど、清楚で頭も良く、内気が難点だっただけで 性格はとても良い子だったから、中学時代に 密かに片想いしていた男子が数名いたのを知っている。
私は その女の子の親友で 中学も同じ、高校も同じだった女の子とつき合っていたから 親友の見舞いに行く彼女につき合って 一緒に見舞いに行く機会が多かった。
(その彼女が 今の私の嫁)
TV版「世界の中心で愛をさけぶ」の設定となった1987年よりも もっと前、1970年代後半の事で、私には 医学の正確な知識が無いので、専門的な事は あやふやだが、その当時の「白血病」は どう治療していいか判らない…という感じの状態の病気だったんじゃないかな? と思う。
完全に「不治の病」扱いで、治療方法も確立しておらず、表現は悪いけど 治療というよりは いろんな薬を試す実験…みたいな感じでもあったんじゃないかと思う。
当初は 本人に病名を告知せず、見舞う我々も 当然、知らない。
しかし、その病院では 同じ様な治療を受ける患者が わりと多く、日が経つに連れて 一人、また一人と亡くなっていったので、女の子は やがて自分の病名を悟り、自殺しようとまではしなかったが、かなり自暴自棄になる事が多かった。
よく病院を抜け出しては 喫茶店に行って 大好きな紅茶を飲んでケ-キを食べたり、意味もなく いろんなところを徘徊するように歩き回っていたが、やがて そんな真似が出来なくなるぐらい衰弱し、ラジオを聴いたりTVを観て過ごすだけの日々を過ごしていた。
女の子の父親は 札幌市内でも指折りの印刷会社を経営しており、厳格な人だったが 溺愛と言って良いほど娘を可愛がっていたから その娘が「白血病」に倒れて以来 はたから見れば「バカ親父?」って思えるぐらい娘のこと一筋の行動を取る人に変わった。
娘が病で塞ぎ込む事を ひどく怖れ、「娘が喜ぶためなら…」そればかりを考える人になった。
我々が見舞いに行くと娘が喜ぶ… そんな理由だけで 私達に多額の小遣いを与え、「学校が終わったらタクシ-で来てね」とか「出来ることは何でもするから 娘を頼む」と頭を下げ 時には「アルバイトだと思って 嫌でも話し相手になってくれ…」とまで言っていた。
入院してから数ヶ月した頃、その親父さんから病名が教えられ、私達は事の重大さを知った。
その時点で「もって3ヶ月から半年」という余命宣告を受けた親父さんが 娘の残された期間を どの様に過ごさせてやるか… 苦悩した結果の協力要請みたいなもんだった。
私がつきあっていた彼女は 自分の親友の身の上を知り、酷くショックを受けた。
しかし、親友の為に… その一心で 笑顔を絶やさず、女の子に接していった。
もし、その女の子がアキの様に「ウルルに行きたい」なんて言っていたとしたら おそらく、その親父さんは飛行機をチャ-タ-して連れて行った事だろう。
伝手を頼って 北海道大学の医学部教授から 必死に海外の医療機関に問い合わせて貰ったりもしていた。
しかし、コレと言った進展も無いまま 少しづつ女の子は衰弱し、日々は過ぎたが、余命宣告を受けた半年から さらに半年以上の闘病の日々を過ごした。
その間の 女の子の闘病の苦労は筆舌に尽くしがたい。
ただ、仕方の無い事ではあるが ラジオやTVから「白血病は致死率が高い」という様な内容の言葉が ニュ-スやワイドショ-で流れるのに触れると たったそれだけの事で数日、へこんだ。
だから、ドラマでヒロインが 白血病という不治の病で やがて死ぬ…なんてスト-リ-は 無関係な視聴者には 悲しいお涙頂戴と視聴率も上がるらしいが、その女の子にとっては それ以上残酷なものは無かった…と言う事を 実際に目の当たりにした。
その一部始終 全てを見たわけでは無いが、そういう友(女の子)との関わりから、小説やTVドラマで白血病を安易にアイテムとしか用いない作品には 嫌悪感しか抱けないのが実状なのだ。
白血病に限らず、病に倒れる人は少なくない。
病に倒れて亡くなってしまう方が 如何に無念だったり、苦労されるか察する。
同時に その方の家族や恋人や友人達だって 同じ様な思いに駆られる。
「世界の中心で愛をさけぶ」の原作を読んだ時に不快に感じたのは スト-リ-設定の中に 家族や友人が軽視されていると感じたからである。
特にアキの両親…と言う部分をおざなりにされている事である。
なんだかね、「悲しい純愛」を描くために「白血病」がアイテムとして使われた…って感が強いんです。
今は その当時と違って研究も進み いろんな治療法も確立され、快復へ向かう患者さんが多い。
「たら」とか「れば」は禁句だが その女の子も発病が 今の時代だったら、充分に手の施しようもあったんじゃないか?と 思う。
それだけに 白血病で家族や友を亡くした者達は つい、「たら」「れば」を考えてしまう事がある。
こんな私ですら そうなんだから、女の子の親父さんは さぞ、その思いは強かっただろうと察するわけで、そこから 他の白血病で亡くなられた患者さんの関係者の多くは 皆、似た感慨をお持ちなんじゃないかとも愚考するのです。
「骨髄バンク」等が設立され 移植治療で快復した…という話も多く聞く昨今、それでも適合するドナ-に恵まれず ドナ-の出現を待ち望む患者も多いと聞く。
「世界の中心で愛をさけぶ」のお陰で 登録者数が急激に増えた…というのは 素敵な事だと思う。
ただし、その反面で 悲しい現実も増えている…という話を耳にした。
要するに、患者に適合するドナ-が見つかり、そのドナ-に骨髄の提供を御願いした途端、ドナ-が拒否をした…というケ-スである。
一時的な感傷で登録したのはいいが、いざ 提供という段になって 提供者にもリスクが生じる可能性がある事を聞き、後込みしてしまうのである。
気持ちは判らなくも無いが、患者にとって 待ち望んだドナ-が現れ 光明が差した途端、ドナ-に提供を拒否されました…では
「その行為が患者に与えるショックを よく考えてみろ」
と、言いたい。
私は患者でもないし、ドナ-登録をしているし、もし、必要とされれば いつでも応じるつもりでいる。
だから、あえて申し上げたいのは 毎日を不安と戦っている患者を さらに悲しませるぐらいなら 安易なドナ-登録などするな!と 強調したい。
私の知る限り…の話だけど その亡くなった友をはじめ 余命宣告を受け亡くなっていった方々は たしかに「余命宣告」を受けてしばらくは 放心状態だったり、自暴自棄な期間もあるけど ある時期を過ぎると 何故か朗らかに明るく、そして周囲に優しくなりました。
総じて、それは「死生観」というものを 現実の上で味わい、葛藤した上での「悟り」の姿なんだと思います。
その悟った姿や言動に接すると、何気なく元気に日々を無意味に過ごす事が どれだけ幸せな事か気づかず、人生の大切さを まったく考えずに過ごす事が どれだけ、もったいない事なのか教えられます。
であるがゆえに、「あ~死んじゃった」「あ~悲しい」「可哀相…」なんて事だけの感想しか抱けないような駄作と言っても良い ドラマや小説に 安易に「白血病」を利用して欲しくない…というのが 私の個人的な願望なわけです。
その点、原作は落第でしたが 映画版はかろうじて及第点、TV版には満点を差し上げたくなる。
20数年の間に 亡き友から教わりながら 忘れかけていた「悟り」 それをあらためて思い出させてくれた事に 深く感謝したいわけです。
以下に 実際に「白血病」と戦われた方の闘病記のサイトと 別の患者さんの話の本を ひとつずつ御紹介しておきたい。
目を通していただければ、それぞれの患者さんとTV版「世界の中心で愛をさけぶ」には共通で 「世界の中心で愛をさけぶ」の原作には欠けているものが何か? 私が申し上げたい事を御理解頂けると思うので…
【関連・参考】
●「the front line」
このサイトのメニュ-から「闘病記」をクリック
●「永遠の愛を誓って――二十歳で逝った成美さんの記録」
安積政子+藤保秀樹(著) 宝島社文庫 ISBN4-7966-4116-5 定価552円+税


