● 世界の中心で愛をさけぶ 第8話
私は これまでの人生の中で
「何かを得るためには 何かを失ったり、我慢しなければならない…」
という言葉を信じてきた。
だから、利益を得るために…友情を無くしたり、資格を得るための勉強をするために…遊ぶ事を我慢した時期がある。
これは 私にとって 座右の銘みたいな言葉だったからだ。
ところが、TV版「世界の中心で愛をさけぶ」の中で 最初は 白血病に冒された真島という青年からアキへ、そしてアキからサクへ語られるセリフがある。
「何かを失うことは 何かを得ることだと思わない?」
意味は同じだとしても、言い回しが違うだけで、言葉から受けるニュアンスは大きく違う。
画面から このセリフが耳に飛び込んできた時 頭を 思いっきり殴られた様な気がした。
日常において 何気なく簡単に使ってきた言葉だったが、実に深い含蓄があったんだとあらためて気づく。
ある友人と前に 喫茶店でお茶を飲みながら会話した時の事を思い出す。
彼は 若くして 世間から「ヤクザ」と言われる裏側社会の中で 無許可の貸金業を営み、おそらく同世代の人々が羨むであろうほどの財を成した。
おそらく彼が 馬鹿げた散財や贅沢をしない限り、30代の若さで 一生、遊んで暮らせるだろう… そういう金額をである。
そんな彼が フト、私に言うのである。
「オマエは良いなぁ…娘がいて」
「なんで?」
「俺さぁ 最近、よく思うんだけどね なんの為に金貸ししてんだろう…って。」
「なんだ それ?」
「バカヤロウ、コノヤロウ…って
取り立てに行って 金めのモノを むしり取って
貸した金の何倍も儲けて…
でもね、ふと思ったわけよ
そうやって儲けた金で 俺、何したいんだろう?って
美味い酒飲んで、綺麗な女 はべらせて…
それがヤクザだって言ってしまえば
それまでなんだけどさ…
なんか つまらない…って言うか、
空しくなっちゃう時があるんだよね」
「それと 俺の娘と 何が関係あんの?」
「いや、俺 女房もいないから
もちろん子供もいないじゃん。
もし、俺に 子供がいたらさ…
その子の為に頑張ろう… なんて
つまらない…とか、空しいなんて事
考えずに 毎日にハリが出来る様な気がしてさ」
取り立てのハリに 娘を引き合いに出されるのは釈然としなかったが、話の意味は深いと思ったし、なんとなく説得力のある言葉だと思った。
誰かの為に頑張る…、その誰かが 心のハリだと言う。 その考えは理解出来る。
変な言い回しかもしれないが、娘を得たことにより、私は私個人の自由な時間が少なくなった。
そのかわり、娘と一緒にいる事は とても楽しく幸せで そんな時間を得る事が出来た。
「何かを失うことは 何かを得ることだと思わない?」
そう考えると とても前向きになれる。
さて、話は変わるが…
アキ父がサクに言った言葉をアキが聞く。

「君は大学は どうするんだ?
治療は何年かかるか判らないんだぞ
君の人生ってものもあるだろ?」
別の場面では サクが友人の姪(少女)の写真をアキに見せ、その少女の事を微笑みながら話すサクの表情から サクが子供好きな事を悟る。

そして、アキは サクの事を想いやり、二度と見舞いに来るな…と 別れを告げる決意をする。

「お母さん、私ね…
サクに もう来ないでって言ったんだ。
サクのためを思ったら そうするべきだよね?サクはこれからどんどんいろんな世界に行って
ちゃんと出会いもあって…
その時、私の方がいいよって言えるもの
私、何ひとつ無いと思うんだよ髪の毛なくて、ひとりで髪も洗えなくて
お金ばかりかかって…
性格もひがみっぽくて…
きっと、子供とかも産めないっぽいよねそんな女、選ぶ理由 何も無いよね?」

愛するが故に、相手の事を想いやる。
それでこそ、本当の「愛」が そこにあると思える。
「とりあえず、今が(自分だけが)楽しければいいじゃん」
そんな風潮が強い昨今には 必要な一石である。
このTV版「世界の中心で愛をさけぶ」の演出家や脚本家は凄いね。
本当に 肝心なところを押さえている… そう思う。
白血病で倒れた 私の亡き友には 恋人はいなかった。
でも、倒れるまでの間に 片想いをしていた相手はいた。
ある友人が冗談混じりに 入院中の彼女に「告白すれば?」と言ったら
「間もなく”死にます”って子に
告白されたんじゃ 嫌味みたいで迷惑じゃん」
と、ケラケラ笑いながら応えたそうだ。
今思えば、それって なんて残酷な言葉だったんだろう…。
「世界の中心で愛をさけぶ」第7話で触れた「死生観」 それは仏教で言う「悟りの境地」という事だろう。
それを踏まえる為には いろんな現実や、自分の状況を踏まえて 悩み、苦しんで 葛藤した上で到達できる境地なんだろうと思う。
その「悩み、苦しんで葛藤する…」という部分が 大事なんだ。
だから、若くして悟った亡き友を 私は忘れないし敬愛してやまない。
「休みの日は 一日中、ボ-ッとしているのが好きなの」
時々、ヘラヘラ笑いながら そう語る若者に出会う。
実に もったいない奴だなぁ…と思う。
かと言って「死生観」ばかりを悩み続けた結果、気が付いたらロクでも無い宗教にハマっている…という若者もいる。
そんな若者に対しては 心の底から阿呆かと思う。
俗に「マニュアル社会」と言うのだそうだが、そのマニュアルを誰が書くと思っているんだろうか?
自分で物事を考えず、責任も取らず、腹もくくらず… マニュアルに頼って育った人間ばかりが増えた時、それは正常な社会と言えるのだろうか?
そんな事を考えていたら とっとと、この世からオサラバした方が良い様な気さえする。
